17th
Rubyがそろそろ一回終わってみるべきに至る道
前田先生ほどの人がアイタタな読み間違いをしている のを発見して、すこしコンテクストを解説しておいたほうがいいと思った。
まずまつもとゆきひろは(Rubyを)100年続けると威勢がいい。が、その割に掛け声ばかりで実際どのようにして100年続くことが可能かについて何も語らない。特に本人がいなくなってからの流れを整備しようという話にならない。前の項にも書いたが、100年続けるなら一人では無理なのにだ。一方、続けないとなると無論終わるしかないわけだが、終わるというのもそれはそれでテクニカルである。大抵の言語は終わるとなると不幸な終わり方しかしない。どっちに転ぶにしろ大変難しい領域があることがわかる。
ところで最近、様々な事案について責任者不在で議論が進まない状況が多々見られるようになってきた。一例をあげるなら標準添付ライブラリのGem化の話題は、あとは責任者がGoとかStopとか言うだけのところまで来ている、のだが、まつもとゆきひろは出てこないし、責任者とか他の誰も任命できないので停滞中だ。他にもパッチまで付いててもうあとはコミット許可をま待つだけのFeature requestとかごろごろある。
このままでは100年どころかまだ我々の目の黒いうちにRubyは打ち捨てられるだろうと思う。俺もたとえば4年前ならそういう発想にはならなかったが、今ならJRubyは結構いい。真面目にオルタナティブとして機能しつつある。それにすでに本家のRubyは様々なクローンの中でも最も低速で、最もスケールしない実装としてのポジションに落ち着きつつある感すらある。そりゃもちろん様々なしがらみの中でそうなってるのは俺だって中の人の一人としてよく理解してるが、こんな感じで100年停滞し続けるのが本当に目指してるものなのか?
という最近の(といっても年単位の)流れがあるのだ。前の項は提案面ではともかくRuby終わらないともかく続ける、という前提だとどうなるかを示したが、一旦すっきりリセットするというのも悪くないし、タイトルはそういう方向性だったわけ。辞めるなら辞めるで大変だとは思うが、続けるのとどっちが大変かはわからんね。
だからこれは気に食わなきゃforkしろとかそういう時間感覚の話をしているわけじゃないのだよ。べつに俺がforkするまでもなく、まつもとゆきひろ含め登場人物誰も彼も50年も放置しとけば鬼籍に入ってんの。長期的には死ぬのは不可避なんだ。人間だもの。でも100年続けると言い張る、それならひとりの人間の死を超越するような構造をまず作れよという話。作れないなら、ちゃんと介錯してあげてくださいよと。