19th
もう少し真面目な話、中学生がどのようにすべきかということ
前回書かなかった事を追補。
年寄りの御託に耳を貸すなということ。
俺自身もそうですが、年寄りが若者の人生に口を出そうとしているときというのは、まあようするに他人の人生だから気楽なわけですよ。
そりゃ、だれも悪意があるわけじゃない。親身になって言ってくれてはいるのでしょう。でも、だからといって、やっぱ他人の人生なんですよ。どこまで行っても自分の人生じゃないという気楽さがあるから、無茶な事が言えるわけですね。どうしても理想論に走りがちというか、足りない部分は根性でどうにかしろとかね。あれです、親が逃した甲子園への夢を子供に託されても子供だって迷惑なわけです。年寄りはてめーの夢くらいてめーで腹を括って他人に迷惑をかけるなという話です。
けどまあ、そういうふうに面と向かって言えれば苦労はしない上に、言ったところでなにか改善されるわけではないという。徒労感だけがたまりますね。なのでみなさんとしては、上手にへらへら笑って右から左に受け流す術が重要と。これはかなり喫緊で身につけるべきスキルです。全部の忠告を全部真に受けてたら、破滅しますよ。
そうはいっても数年以内にアメリカには行くべきということ。
中学生の皆さんの身の回りには、ご自身と、好きな子と、その他の世界全部があるわけです。いいですね。若いですね。ただ、その他の世界全部ってのは、あなたが思ってるより60億倍くらいでかかったりするわけですが。
世界が広いのなんてさあ、わかってるよって話じゃないですか。今更言われるまでもないじゃんと思うでしょ? でも実際それを本当に「分かってる」人間なんて、いないんだなあ。誰一人として。これはもう人間に生まれた以上は限界というものがあって、世界の広さは一人の人間が理解するには広すぎる。
だったら、理解できないものは、想像するしかないでしょ?
で、想像力を高めるためにはまず見聞を広めるのが手っ取り早いわけです。逆説的だけど、海外に出ていけばいくほどに、「自分は何も分かってない」という圧倒的な事実は立ちはだかって来ます。それがいいのだ。その視点に立ってようやくスタートラインだと思います。
そんで、べつにアメリカである必要はないんですけどね。というかむしろグアムやらハワイやらに観光に行っても効果は薄いようには思う。が、そうはいっても「海外」イコール「アメリカ」っていう思い込みをぶち壊すのに一番有効なのも、やはり実際にアメリカに行ってみることだったりするので。一回目はアメリカでいいんじゃないですか。で、それ一回じゃ不十分なのは確か。その後は自分で考えよう。
親族と先生以外の生き様を発見せよということ。
俺の場合中3か高1だったかで竹熊健太郎という人物の著作を読んでこんないいかげんな人生があるものかと(←失礼)たいへんな衝撃を受けて、まあそれで参考になったかというとあまり参考にはならなかったわけだけども(←さらに失礼)、なんというんですかね、まあ親とか先生とかはみなさんには立派な人物になって欲しいと思うのが親心じゃん? でもさあ、べつに立派じゃない人生でもそれはそれでやっぱ人生なわけですよ。だから立派な人の伝記みたいなのを親は読ませようとするかもしれないけど、実のところべつに偉人じゃなくても人間じゃないわけでもなし、偉くない人も案外おもしろいじゃんと。
だからといって皆さんも竹熊氏のように篦棒な人生をあゆむべきとかは全然思いませんけどもね。俺だって上記のとおりあまり参考にはしなかったし。でも三角測量みたいな感じで他人の人生と自分の人生をずいぶんと冷静に見ることができたのはよかったと思います。まったく自分と縁もゆかりもない人物の生き様を知ったのは自分にとっては得がたかった。
なお当時は違ったが今となっては竹熊氏も大学教授なわけで、今となってはじゅうぶん立派な人物の部類かとおもいます。そういうオチがついちゃったので今の中学生にとっても同じインパクトがあるかは少々疑問ではあります。
仲間がいないのはネットで解決するか? ということ。
俺みたいな中3でtumblr見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは…ども…
↑俺が中3の時にはそもそもインターネットがなかった(いや、厳密に言えば存在はしていたが、(以下おっさんの昔話千字余省略))。だから、「いますかっていねーか」のニュアンスが今とじゃまったく違うのね。当時、(昔話三千字余省略)。つまり、ご町内かせいぜい盗んだバイクで走り出せる範囲で俺一人ってのと、Google様の御威光の届く既知宇宙全体で俺一人、ってのと、どっちが孤独かということは、もう俺にはよく分からんのですよ。そういう世界で中3やったことがねえんだもん。
なのでこの項は他の部分にも増して想像で書いてるけど、でもかなりの確かさをもって言うと、みなさんの仲間はいる。絶対いるどっかにいる。根拠が示せなくてごめん。でも本当だよ。地方に住んでて見つけられないならネットで探すってのが今時のやり方というやつなんじゃないですかね。で、それでみつからないなら、逆に、ちょっとネット以外のところから攻めてみるのとかもいいんじゃないと、俺なんかは思っちゃうけど、でもそれはやっぱOUTもファンロードもないこんな世の中じゃ老害というものだろうから、おすすめはしない。ただ仲間はいるよ。それだけは信じて。んであきらめずに探そうとしてね。探し方を変えるとあっさり見つかったりもするからね。
こざかしく生きろということ。
中学生のころの島根での生活をうっちゃって東京に逃げてきた俺がいうのだから間違いないけれども、逃げたきゃ逃げるべきです。もっというと、「逃げれる」という希望があるだけでも人間は生きていけます。かなり違います。
ただし、それなりにずるく立ち回る必要はあるということです。戦略のない撤退はただの転落人生なわけです。すべての事柄から際限なく逃げつづけた挙句にロクでもない大人が完成する例は枚挙にいとまがないわけです(俺のまわりにも思いつくだけでも数人は…)。したがって逃げるというのはドクトリン、ストラテジ、タクティクスが揃ってこそ最大効果を発揮するといえます。孫子曰く彼を知り己を知れば百戦殆うからず。賢く生き延びましょう。まあ孫子やらクラウゼヴィッツやらマキアヴェッリやらを読めばいいかというと、そーいうもんでもないとは思いますが…
あとこれだけは言っておきたいのだけれど、いまのうちに、努力すれば報われるみたいな宗教からは抜け出しておいていただきたい。順序が逆です。報われるためにはどうすればいいかを考えるのが先です。考えた結果、努力することになる場合はありますが、それで報われなかったとしても、足りなかったのは努力ではなくて、考える頭脳のほうです。中学生の皆さんには自分で考えて結論を出すだけの能力はあるはずです。健闘を祈ります。