20th
終わることはよいことだという感覚について
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、子供のころの強烈に印象に残ってる体験というか、まあテレビで見たわけだけども、その当時ヨーロッパのまんなかのへんで政権交代が局所的なブームだったのさ。んでまあカラフルな壁をツルハシで壊してるドイツの人たちの強烈な笑顔というのが、今でも忘れられなくてですね。もちろん、今から振り返って見れば、1989年をよいとか悪いとかいう単純な評価で切り捨てるのが大きな間違いなのは分かる。けど、当時は政治とかよくわかんない程度に子供だったから、みんな「なにかが終わって喜んでるんだ」ということしか、俺には理解できなかった。だってあの人ら喜んでたでしょ。そのくらいは俺にも分かったよ。
まあそういうわけで、たしかにそのあと色々あったし一面的な評価が誤りだということは理解していますと繰り返し申し上げたうえで、でもやっぱり、少なくともあの瞬間には、終わることはよいことだったんだよ。もっと言うと、あの日、みんなには未来があった。何かが終わると、何かが始まる。その瞬間には、終わったほうはしょうがないとして、まだ始まるほうの何かは、みんなの手でよりよくしていけるチャンスがある。そのようなことをテレビでは言っていたような気がしました。
他にも時々壊してみるほうがいいんじゃないの的なものはもう少し大きくなってから読んだ式年遷宮の解説記事とか、あるいはもっと卑近な体感としては校長先生が変わると学校の雰囲気が結構変わるとか、まあ色々あるわけですよ。学校人事みたいに定期的に壊す必要があるかはさておきね。なので何かが終わること(=何かが変わること)は、基本よいことなのではないか? という感覚が俺の中にはある。少なくとも悲しむ必要はない。そのように思います。
ここまでだと消極的な終了容認論でしかないので、なぜそれが「終わってみるべき」という積極的な話になるかは後で書く。